【基礎知識】『ヤングム』ってなに?(歴史編②)
アンニョンハセヨ~(*^O^*)
金剛山歌劇団 ヤングム奏者の黄聖順(ふぁん そんすん)です!
さて、前回に引き続き、ヤングムの歴史についてお話したいと思います♪
10世紀以降、世界中に広まっていった打弦楽器ですが、16世紀頃に洋琴(後に“揚琴”に転じる)として中国に伝わり、
朝鮮半島に伝わってきたのは18世紀に入ってからでした。
わりと遅めだったんですね~。
その頃の朝鮮では、ソウルの両班(当時の官僚階級)たちの間で中国・北京を訪れることが一種のステータスのようになっていました。
ソウルの両班たちにとって、初めて見る北京の洋琴はとても物珍しいものでした。
当時の洋琴はこんな感じ
↓↓↓
確かに、今の私たちが見ても興味をそそられますよね(・o・)!
そんなこんなで北京帰りに洋琴を買ってくる人も少なくなかったといいます。
しかし!それから約60年もの間、朝鮮で洋琴が演奏されることはありませんでした。
一体なぜか?!
なぜなら……
弾き方が分からなかったからです!!
(えぇぇぇ~(゜o゜;)?!?!←マ○オさん風に)
いや、確かにこんなに弦ばっかりだとどこが何の音なのかなんてわからないかもしれない…けど!
買ってくる時に聞かなかったんかい!!
ってツッコミたくなりますよね( ̄▽ ̄;)。笑
でしたが!
ついに日の目を見るときが来ます!!
その救世主となったのが、
朴趾源/パク チウォン(左)と、洪大容/ホン デヨン(右)
という二人の両班でした。
実はこの二人…ただ者じゃありません。
資料によると、二人とも絶対音感を持ってる上に、音楽についての本まで執筆するほどの博識ぶり。
洪大容にいたっては
北京の聖堂にあった、初めて見るパイプオルガンをものの見事に弾きこなし、
さらにそれがどういう原理で音が鳴っているのかまで瞬時に見抜いて、持ち主にスラスラと説明してしまうような天才っぷりだったようです。
す、すごいですね…( ̄▽ ̄;)
そんな二人ですが、
どう洋琴を救ったかというと…
こんな資料が残っています。
ある日、洪大容の自宅を訪れた朴趾源。
そこで、これまた書斎の飾りになっていた洋琴を見つけます。
そこで朴趾源が洪大容にひとこと。
『洪さん…カヤグムを持ってきてください。
この洋琴、調律してみませんか( ̄ー ̄)ニヤ』
(注:セリフや表情などの微妙なニュアンスはあくまで筆者のイメージです。)
こうして二人の両班の手によって、
書斎の飾り物であった洋琴は、
みごと素晴らしい朝鮮の打弦楽器、
『ヤングム』へと
華麗なる変貌を遂げたのですヾ(´▽`*)ゝ!パチパチパチ…
余程嬉しかったのか、二人が調律をやり遂げた日にちが朴趾源本人の文献に残されています。
↓↓↓
1772年 6月18日 PM6:00頃
…細かっ\(゜o゜;)/!!
その後、“謎”が解読されたヤングムは両班の間で大ブームを巻き起こし、
徐々に朝鮮の民族楽器として定着していきましたとさ。
めでたしめでたし。
…
で、終わりではないですよ((((;゜Д゜)))!!
そこからヤングムはもうひと段階、
飛躍を遂げることになります!
次週!ついにヤングムが現代のかたちに生まれ変わります!!
→続きはコチラ!
*参考文献 [조선에 온 서양물건들/강명관著]
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♯양금 onepoint advice♭
シ♯は大いに活用すべし!
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